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大森山の蘭泉さん・田田さんの子孫たち: 日本のフタコブラクダの系譜をたどる(中間報告)
コロナ禍でしばらく来れなかった大森山を9か月ぶりに訪問しました。
開園の30分以上前に到着。それはここで暮らすフタコブラクダの来来ちゃんに会うため。
来来ちゃんは、脚への負担を減らすために夜間も獣舎には入らず、土のグラウンドで過ごしています。
開園前でも公園エリアから彼女に会えるのです。
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開園したらまず来来ちゃんにおやつをあげに行くのが私のルール。
おやつをあげる場所に近づくと来来ちゃんすぐ立ち上がってきてくれました。
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(ここまで11月28日撮影)
ある来園者が、この子は中国から来て云々ということ言っていました。
だいぶ経っているけど覚えてくださっている方がいらっしゃるのですね。
1982年に日中友好の動物大使として、2頭のフタコブラクダ 蘭泉さん、田田さんが
中国からやってきてくれました。来来ちゃんは彼らが残した最後の子供なのです。

2009年4月に私が初めて大森山を訪問した時、2月に田田さんが亡くなられたばかりで
この偉大な始祖を紹介する掲示がありました。

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(2009年4月撮影)


蘭泉さんと田田さんの間には12頭もの子孫が生まれ、各地へ旅立っていきました。
その子供たちの行先についてずっと気になっていたものの、どのように調査すればよいのか
わからず数年が経過していました。

最近になって、ラクダ、特に大森山の来来ちゃんを愛しておられる camel_rairaiさん
園とやりとりされて、12頭の子供たちのデータを入手して私と共有してくださいました。
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これが出発点となり、蘭泉さん・田田さんの血筋のラクダたちがその後どうなったのかの系譜、そして
いまも生存している子孫たちを調査するプロジェクトを始めました。
蘭泉さん・田田さんの最後の子である来来ちゃんが健在なうちに、彼女の家系を調べておきたかったのです。


第1子 鈴鈴→円山
鈴鈴は円山で一頭の♂の子供を出産していますが、
1990年に母子で動物商経由で他施設に移動しています。
鈴鈴母子には会う機会はありませんでした。
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第2子 森森→おびひろ
森森はおびひろで一頭の♂を残しました。
それがおびひろで飼育された最後のラクダとなったボスです。
森森もボスも私は会う機会がありませんでした。
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第3子→八木山
第3子は八木山で暮らしていたコブコさんです。
ラフちゃんが2010年に天王寺から八木山から移ってきた後、数年間一緒に暮らしてくれました。
2012年に会いに行った時のブログ記事

コブコさんは一頭のオスを残しました。それがテメさんです。テメさんの娘が、
現在も安佐で暮らしているフーコちゃんです。
2009年に会いに行った時のブログ記事

フーコちゃんの母親ノゾミさんは別の父親と3頭の子孫を残しているのですが、
そのうちの一頭が現在の天王寺のジャックです。
つまり、フーコちゃんとジャックは異父姉弟だったんですね。前からふたりの
関係が気になっていたのですがやっと謎が解けました。
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第5子 アキコ→天王寺
天王寺にやってきたアキコさん、残念ながら子孫を残しませんでした。
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第7子 蘭田→大島公園
私が2011年に蘭田さんに会いにいった時(ブログ記事)は佐武郎くんと同居していたのですが、
彼はその後子孫を残さないまま亡くなっています。
そして現在はアメリカからやってきたテンテン君と同居しています。
蘭田さんについては後述します。


第8子 ノリコ→天王寺
ノリコさんは天王寺で愛称がコニーさんに変わりました。
コニーさんはジャック(第3子コブコさんの孫である、安佐のフーコちゃんの異父姉弟)との間に
3頭の子供を設けました。
最初の子のエースには私は会えていません。
誕生した2番目の子のトニーに会うため私は動物園通いを始めました。(天王寺時代の思い出アルバム2008年千葉へ移動したトニーに初めて会いにいった時のブログ記事
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蘭泉のこどもたち
camel_rairaiさんが、大森山の広報誌「コミュニケーション」にあったある記載について
非常に興味深いことを教えてくださいました。
田田さんの訃報では12頭の子孫を残したと記載されているのに、蘭泉さんの訃報では15頭の子孫を残したと記載されているというのです。
蘭泉さんは、田田さんとの間に生まれた12頭以外に3頭の子を残したことになります。
その謎はひょんなことから解けていきました。

大島公園に蘭田さんのデータを問い合わせていたところ、ブリーディングローン契約で蘭田さんといっしょに
小子さんというラクダが来園し、契約終了大森山に帰園したというのです。
実は小子さんは蘭田さんと蘭泉さんとの間に生まれた子だったのです。
実際には大森山に帰らずに、動物商を経由して他施設に移動したようです。
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残り2頭についても確認したところ、第1子 鈴鈴さんとの間に生まれた子とわかりました。
「マル」については旭山に移動したことを確認しました。
しかしもう一頭については、園に残っている記録にあった施設には実際には移動していない
ことが判明しました。おそらく動物商を経由して他施設に移動したと思われます。
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まとめと、行方がわからない個たちの公開捜索願い
蘭田・田田さんは多くの子孫を残したというだけでなく、その子供たちの系譜
日本のフタコブラクダ飼育の重要な柱となっていたことがわかり、感動しました。
子孫のうち、現時点で3頭(蘭田、フーコ、ラフ)が生存していると判明しました。
長生きして、また命をさらに繋いでいってもらいたいと願っています。
今後とも彼女たちを見守っていきたいと思います。

また秋田の血筋とは直接つながっていなくても、ジャックがそこに絡んでいたこともぐっとくるものがあります。

日本では動物商を経由して他施設に移動することがよくあります。
その場合にどこに移動したのかを辿れなくなりがちです。送り出し側には
移動先の情報は渡されないからです。現在以下の個たちの行先がわからなくなっています。(大森山でも情報なし)

  • 鈴鈴さん♀(1983/4/27生まれ、円山に移動後、1990年動物商経由で移動)
  • 第6子♂(1992/3/27生まれ、1992/12/2動物商経由で移動)
  • 第9子 優子♀(1998/3/17生まれ、2000/7/8動物商経由で移動)
  • 蘭泉さんと第7子 蘭田さんの間の子 小子さん(1997/3/18生まれ、2006/3動物商経由で移動)
  • 蘭泉さんと第1子 鈴鈴さんの間の子(1987/4/29生まれ、1989/3/15 大森山から移動:動物商経由で移動したと推測)
  • 円山のラックと鈴鈴さんの子(1988年生まれ、1990年動物商経由で移動)

生年月日と移動時期のデータはありますが、なにぶん時期が古いためネット上に記録がほとんどなく
調査が極めて困難です。この記事を読んでくださった皆様で、何か手掛かりとなる情報をお持ちでしたら
ブログ主までご教示いただければ幸いです。

謝辞
このプロジェクトを始めるきっかけや、いくつかの重要な情報をいただいた camel_rairaiさん
お忙しい中調査に多大なご協力をいただいた各園のご担当の皆様に感謝いたします。

by rakudateikoraku | 2020-12-12 23:45 | フタコブラクダ | Comments(0)
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